リアル「おくりびと」と最期の尊厳について

こんにちは、マチコです。

クリスマスに母が亡くなってしまいました。
15年間ものあいだ痴呆であったものの、91歳で老衰だから、きっとものすごく幸せな亡くなり方だとは思います。

老衰という方法で逝くことが、どれだけ残された家族の心に癒しを与えるかを知りました。
いままで苦しかったよね、あの時ちゃんと検査していたら・・・やり残したことあるよね。。。。という心残りがなく「お母ちゃん!いままでありがとう!」しか残らないのです。

子どもの頃から大好きで大人になっても近所に住んで癒着していた母との関係は、母の痴呆発症という事で、意思疎通がだんだんできなくなり、少し距離が遠くなりました。
去年から下の世話も大変になってきて、特養老人ホームに入ったものの、その頃から私は「もっとやってあげれることあったはず」という罪悪感にさいなまれていたのです。

そんな母が急に危なくなり、寛大な施設が泊まりこみを承諾してくれたことで、2日間ずっとそばにいて手を握り、子どもの頃から今に至る長い長い思い出話とたくさんの愛をもらった感謝を伝えることができたのです。

最期は家族で看取ることができました。
(おばあちゃん子だった次男のパニック休職が、実はこのために起こったのではないだろうかとも思えてますけど・・・)

亡くなったとたん、眉間のしわは消え、穏やかな顔に変わったことが忘れられません。

葬儀では「ゆかんの儀」というしきたりがあります。
「納棺師」という方々が、故人の身体が見えないように布をかぶせながら、石鹼を使ってきれいに体を洗い、シャンプーリンスにドライヤーでセットまでして、宗派の衣装に着替えさせ、薄化粧を施してくれる儀式です。

まるで、映画の「おくりびと」そのものでした。
もっくんが、葛藤しながらもこの仕事を選び、故人を家族の前できれいに整えあの世に送って差し上げる。
映画の音楽がBGMで流れる中、まさにその通りのことが行われ、アロマオイルでマッサージしてもらって、オレンジ色の口紅をした母の姿は光り輝いていて、91歳とは思えない若返りを果たし、家族に最後の未練と感動を与えてくれました。

なんて素晴らしい仕事なんだろう!!と感動した私は、担当してくださった「納棺師」のお二人に率直な喜びと感謝をお伝えしましたが、「この仕事に対して、そんな風に思ってくれる方は少ないので、本当に嬉しいです」とお二人は話してくださいました。

亡くなってもなお、元通りに、それ以上に綺麗にして旅立たせることができるチカラ。
そして何より、遺体としてではなく人として大切に扱ってくださったことで故人の尊厳を守っていただいたと感じました。

故人の最期の姿は、残された人間の脳裏にいつまでも残ります。
遺族の悲しみをやわらげ、故人の尊厳を保つ「納棺師」のお仕事に感動し、まとわりついていた母への罪悪感がすーっと消えたというお話でした。

 

 

 

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