父親がまさしくそうで。
行くと、痴呆の母がこれだけのことをやらかして、そのためにこんなに大変なことを自分はしていて。。。
かわいそうな自分。
大変な自分。
と、長い愚痴が始まる。
それはわかるし、理解しているので、「そりゃ大変やったなー!」と大袈裟に答えてはいるが、これを言うタイプと言わないタイプはどう違うんだろうと思って。
これを毎回見せられているのは、私の中にも同じものがあるからなんだろう。
認められる事に重きを置く。
しんどいことや辛いことがあると、黙っておれず、吐き出したい。
そう、父親と同じだ!
そして、毎日毎日、婆さんがこんなことしでかして、自分はこんな大変な目にあったという訴えを聞くたびに、私の中の罪悪感が出てくる事に気がついた。
家が近いから、呼び出されても走って1分だけど、普段フルで仕事に行っているから昼間は見てないし、週に何度かデイサービスに行ってるとは言え、朝晩は父母2人で過ごしているし。
子どもの頃から大好きすぎてずっと一緒にいたかった母がボケて、本当は仕事を辞めてでも見てやりたい気持ちもあるが、、、
見ないといけないよね?の感情が勝つのかもしれない。
私が今見ているこの現実は、どこにどう向かっていくのか。
老いた親を子どもがみるのは当然であり、順番だとも思う。
私の子どもたちをどんな愛情をもって関わってくれたか、思えば思うほど、感謝の念とともにまだまだ足りていない罪悪感が渦巻く。
その思いは、父親に対してもある。
何をすれば、この罪悪感は癒されていくのだろうか?
やれるだけの介護を死ぬ気で行えば、自分は満足するのだろうか?
この、どこの家庭でも見られる親の介護の場面を、もっと全員で楽な気持ちで行えるよう心を整えたいと思うし、感情の持ち方を探していきたいと思います。
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