91歳の人生って

91歳の父親が自宅で転んで粉砕骨折とやらに。
近くの整形に運んでギプスをすりゃ数ヶ月で治るだろうとたかを括っていたら、、、
市民病院に搬送され、2回にわたる手術をすることに。
今日はその1回目。
先ほど笑顔で手術室に入って行った。

前日の担当医からの説明で、2回手術してから退院まで半年近くはかかるし、退院後にまた元の生活ができると思わないで欲しい、と。
そのまま夫婦で施設に入るのが最善かと思うと率直なご意見をいただいた。

過去に7回くらいの大きな手術経験があり、もうダメ?と思いながらも生き延びてきた父親。
肺がんも胃がんも胆嚢摘出も心筋梗塞も、、、たくさんの生死の別れ目があり、その度に生きる方を選んできた。

15年ほど前から母親が痴呆になり、何があっても先には死ねない!の思いだけで頑張って生きている。
頑張って生きている!と言うのが一番似合う。

近所に住んでいるので、毎日覗きに行くものの、父の長期入院に全面的に母親を看るという対応ができない自分が歯がゆい。
全く寄りつかない兄には感情を無にしてあきらめ、ただただ後悔のないようにとだけ思って接してきたが、なんでこんな試練が起こるのかなぁ?

爺さんめちゃくちゃ頑張ってるのに神様は厳しいなぁ、と凹む。

人生の最後の辺りなんだから、穏やかに幸せに生きれないものだろうか?

これも必然。
何かしらの気付きを得るための出来事なんだろうけど、ちょいと悲しい。

この出来事から得られる恩恵ってなんだ?
気を取り直して考えてみると。。

糖尿病がなかなか良くならず、そんだけ菓子パン食べたらアカンやろ!と思いながらも、食べるのやめなさいよ!とは言えなかったあの食生活を正すチャンスが来ているわなぁ。
規則正しい3食できっと数値は変わるだろう。
そうなると、この大手術で危惧されている感染症や化膿へのリスクも減る。
糖尿病って恐ろしい!
私もやけど(-。-;
私自身、心を入れ替えるチャンスをいただいたわ。

あとは、毎日母親を看ている事へのご褒美?
少し休みなさいよ、と言う束の間の休息?
かなり痛い目にあってるし、今後も思うように生活できないのだろうけど。

そして、最近、父親と私が癒着気味な気がしていた。
お互い補償行為含めての母への介護。
こんなに頑張ってる!やれる事やってる!を見せつけながら、共感と承認が欲しい。

私は私、父は父。
犠牲者にはならず、労りあえたら。

そこをもう一度向き合う時なのかなぁ?

人生は一度きり。
戦争を体験して、若くして働き、遊ばず老後資金を貯めて慎ましく生きてきた両親を誇りに思う。
せめて、もう少し楽しい思いをして欲しいなー。
笑える毎日を送って欲しいなー。

そろそろ手術も終わります。

必ず歩ける日が来ると信じて、笑顔で迎えよう♪

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