武勇伝は、自分の人生を肯定するための言葉だった

こんにちは。めっちゃ寒いですね。
アラフィフの味方、マチコです。

「またその話か……」
そう思いながら聞いてきた、年配男性の武勇伝。

戦争の苦労話。
昔はモテたという話。
どれだけ人に優しくしてきたかという話。

正直、うんざりすることもありますわ。
でも、あるときふと思ったのは・・・。
これは“自慢”ではなく、自分の人生を肯定するための言葉なのかもしれないってことです。

父は、会うたびに戦争の苦労話をする。
上司は、若い頃の女遊びの話を、なぜか誇らしげに語る。
先輩は、ありとあらゆる苦労話と「自分がどれだけ人に優しくしてきたか」をセットで話す。

これって、本当に“自慢”なんだろうか?

武勇伝の正体は「自慢」じゃない

年配の男性が語る武勇伝は、「俺すごいだろ?」というマウントではなく、「俺の人生、無駄じゃなかったよな?」という確認作業に近い気がします。

若い頃は、仕事や家庭、社会的役割の中で自然と「認められる場」があったわけで。

でも年を重ねると、
・主役の座は譲り
・影響力は小さくなり
・体も思うように動かなくなる

そうなると、今の自分ではなく過去の自分を語ることでしか、自分を肯定できなくなりますね。

それぞれの武勇伝に、ちゃんと意味がある

父の「戦争の苦労話」

これはもう、生き残った意味を失いたくないという気持ちそのものだと思うんですよね。
あの時代を語れなくなったら、人生の中心が消えてしまう感覚なのかもしれない。貧しくて辛くて、苦い経験だけど、頑張った自分!生き抜いた自分!

上司の「昔はモテた話」

これは、男性性の最終確認。
「今の俺」ではなく「かつて選ばれていた俺」を語ることで、自分の価値を保とうとしているんでしょうね。

先輩の「苦労+優しさエピソード」

これは一番、人間味があるかも。
“いい人だった自分”として記憶されたいという願い。
武勇伝というより、人生の徳ポイント申告みたいなもんですね。

感情を語れなかった世代

多くの年配男性は、
・弱音を吐くな
・感情より結果
・男は語らず背中で見せろ
そんな価値観で育ってきたと思うのです。

だから
「寂しい」
「怖かった」
「孤独だった」
を、そのまま言えない。

代わりに出てくるのが事実と功績の羅列=武勇伝なんでしょうね。

それでも、聞く側はしんどい

もちろん、毎回毎回聞かされる側としては、しんどい。

正直、うざいときもある。
話が長い。オチがない。自分語りが止まらない。

でも、ふと思うのは・・・

これは、人生の後半戦に入った人の、静かな叫びなんじゃないかと。(カッコよすぎかな?)

武勇伝は「人生の棚卸し」

年配男性の武勇伝は、過去の栄光ではなく、「俺の人生には、ちゃんと意味があった」と、自分に言い聞かせるための言葉なのかもしれないですね。

そう思うと、少しだけ、聞き方が変わった気がします。
相変わらず長いけど。笑

武勇伝には「被害者バージョン」もある

武勇伝というと、
「俺はすごかった」
「昔はイケてた」
という話を想像しがちだけれど、実はもう一つ、よく似た語りがあると思いますね。

それが、「昔、ひどい目に遭わされた話」。

・理不尽な扱いを受けた
・正当に評価されなかった
・上の立場の人に潰された

そうした体験を、何度も、細部まで、繰り返し語る。

一見すると愚痴や恨み言に聞こえるけれど、その奥にあるのも、やはり同じ問いなんじゃないかな。
「あれは自分のせいじゃなかったよね?」

このタイプの語りは、「俺はすごかった」という光の武勇伝ではなく、「俺は耐え抜いた」という影の武勇伝。
自分の人生が思うようにいかなかった理由を誰かの理不尽さに置くことで、自分を守り肯定しようとしているように見えるのは私だけ?

ただ、聞く側としては正直しんどいっす。
話は前に進まず、希望や学びよりも、重たい感情だけが残るからなぁ。

理解はできる。
共感も、多少はできる。
でも、その痛みを癒す役割まで引き受ける必要はないなぁ。

「そうだったんですね」
それ以上、踏み込まなくていいと思ってます。

では、なぜ年配女性は武勇伝を語らないのか

ここまで書いてきて、ふと、こんな疑問が浮かんだんだけど。
なぜ、年配の男性は武勇伝を語り、年配の女性は、あまり語らないのだろう。

結論から言えば、年配女性も、同じように濃い人生を生きている。
ただ、それを「武勇伝」という形で語ってこなかっただけじゃないかな。

多くの年配女性は、自分の頑張りや耐えてきた経験を堂々と語ることを、長いあいだ許されてこなかったはず。

「私が頑張った」
「私がすごかった」
そう言うと、出しゃばりだと言われ、自慢だと受け取られ、空気を読め、と諭されてきたんだと思います。

その結果、女性たちは人生をこう語るようになって。
「みんな大変だったから」
「私なんて、たいしたことないけど」
「今思えば、仕方なかったよね」
主語はぼかされ、成果は小さくされ、強さは関係性の中に溶けていく。

また、女性は人生の途中で、友人や家族との会話の中で感情を小出しに語ってきた人も多いですね。
だから、人生の後半になってまとめて語り直す必要が、男性ほどなかったのかもしれません。

年配男性の武勇伝が「語れなかった人生の噴き出し」だとしたら、年配女性の静けさは、「語り続けてきた人生の残り香」なのだと思う、なんて言ったら小説家やな・・・。

年配女性が武勇伝を語らないのは、語るほどの人生がなかったからではない。
ただ、その人生を自慢の形で語ることを、許されてこなかっただけだと思います。

なんだかんだと解釈してみた「武勇伝」。
武勇伝とは、過去を誇る言葉ではなく、自分の人生にそっと丸をつけるための言葉なのかもしれません。

じゃあ、自分はどうなんだろうと考えます。
できれば、どんな時だって、キラキラと未来のことを語っている「おばあちゃん」でいたいなぁ。

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